鬱の人と暮らす
だいぶ前に書いたものです…
今はだいぶ安定していて、いい感じです(^ ^)
……
もともとあったかもしれないけど、
すこし見境なく出るように思う。
もの凄く小さな事なのに、
どうして、そこまで怒るのか。
子どもを傷つけたくなくて、
何とか状況を知ろうとすると、
私にも牙を向けてくる。
本当に悲しい。
鬱でなければ、ただじゃおかないのに。
許せない言動も、病気がそうさせるのだからと、自分を納得させて、、時間はかかるけど気持ちを切り替えて、自分から歩み寄る。
だいいち、1日も知らんぷりしたら、知らんぷりすることに飽きるし。。
忘れっぽい自分の特性にも、本当に感謝する。
鬱の人を傷つけないよう、何でも我慢しなくちゃいけないのかな、と思ってしまうことも、たくさんある。
あなたと私だけなら良いんだよ。
子ども達を傷つけたくない。
家を居心地の悪いところにしたくない。
子ども達と犬猫達がストレスだから、離れることを考えれば良いとは思うけど、子ども4人、犬2頭、猫8匹、、行き場がなくてね…。
何とか何とか、場を和ませようと頑張ってるけど、、もちろん、楽しい時もいっぱいあるけどね…
なーんか疲れるよ。
……
夫、子ども達、、
誰かの調子が良くなって、ひと安心すると、誰かが落ち込む。モグラ叩きみたいな感じだなぁと、いつも思ってしまう。。だけど、いっぺんにじゃないから良いんだよね。
なんとかなる。
ありがたいことです。
犬と猫を飼うということ。
猫を連れて動物病院へ来ました。
とっても可愛い柴犬を連れたお爺さん。
柴犬はまだ4歳と聞いて、どうしても思ってしまうこと。
お爺さんは、あの子の最期を看取ってくれるだろうか。。
どうかどうか、あのお爺さんが万が一先に居なくなるような事があっても、ちゃんと可愛がってくれる人がそばに居ますように…。
犬や猫は、大好きな人にちゃんと看取ってもらえるように、寿命が私たちより短いんだと、私は思っているので、、
飼うと決める時に、自分がその子の最期まで面倒を見られるのか、また、もし自分に何かあった時に、その子をどう守るのか、を考えることが大切だと思います。
でもね、できることなら、歳を取ったら犬や猫を飼ってほしい、とも思います。
お爺さん、お婆さんが犬を散歩させてる姿は素敵だから。。
私の母が、もし犬猫と一緒に居られる環境だったら、認知症の進み方も違ったかも知れないなぁと思うし。。
歳を取っても安心して犬や猫を飼えるような、、先の心配をしなくても家に迎えられるような、、
そんな仕組みが出来たら良いなと思います。
母の誕生日に、虹の橋へ逝ってしまったチョビ夫。
長女、卒業式欠席。
6年生の10月まで、なんの文句もなく、セッセと起きてセッセと登校していた長女。
ある日突然、行くのをやめました。
幼稚園の時
「母ちゃん、お友達ってどうやって作るの?」
と聞いてきた長女。
小学校に入学してからは、クラスのお友達の話題についていけるよう、テレビを録画(起きている時間に観れない番組)したり、YouTubeを観たり。
よくやるなぁと、感心するほどでした。
支援級に通う長男のことで心無いことも何度も言われたり(アンタのお兄ちゃん、障がいなの?かわいそう。じゃアンタも障がいなの?等々)。
不登校の次女の事で、先生からもクラスメイトからも毎日のように次女のことを聞かれたり。
ずーーーっと、よく頑張ってきたよね。
6年生になって、もう頑張るのが辛くなったんだと思う。そして大好きな担任の先生に、頑張れない自分を見せたくなかったのが、学校へ行かなくなった、いちばんの理由かなと思いました。
大好きな担任は、「頑張れー!」って熱く熱く応援してくれる先生だから。頑張ってる長女をいっぱい褒めてくれる先生だから。
若くて可愛くて面白い先生。
授業もすごく面白い!と最初の頃は喜んでたし、頑張って工夫して書いたノートを褒めてもらって、すごく喜んでいて、私も一緒に喜んでいました。
だけど、頑張ってこれた先生に、頑張れなくなった娘の気持ちは理解出来なかったかもしれません。
ある日、先生の声がけで、クラスみんなが書いてくれたと言う、「頑張れ!」のメッセージがたくさんの色紙をいただいて…
なんか、私はお別れの色紙をいただいたような気持ちになりました。娘も複雑な気持ちだったみたいです。
先生の気持ちはとても嬉しいけれど、人を応援するって難しいなと思いました。
そして卒業式。
娘はずっと「出ない」と言っていました。
前々日にもう一度、「卒業式には出ない」との意思を確認し、当日、卒業生たちがいなくなった時間に、校長室で証書をいただきに行くことになりました。
当日。
校長室へ行くと、校長先生はじめ、教頭、担任、そしてほとんど全員かしら?と思うほどたくさんの先生方が、娘を待っていてくださいました。
とってもあたたかな雰囲気の中で、娘もニコニコで校長先生のお話を聞き、証書を受け取っていました。
色々色々思うことはあります。
もちろん娘にも先生方にも、いろんな思いがあったと思います。
皆と違うことをする事で、先生方の仕事を増やしてしまった申し訳なさも、もちろんあります。
だけど、娘にとって今の我が家は、決して居心地の良い家ではないのに、家をいることを選んだって事は、それ以上に学校には行きたくなかったってことで…。
学校に行かなくなったこと、卒業式に出なかったことが、娘のこの先の人生に、どう影響するのかは分かりません。
だけど、自分が選んだことだからね。
何をやっても後悔することはあるし、やらなくたって後悔するのだから、だったら、思うように、好きなようにやって後悔したほうが良いなぁと思うよ。。
学校に行かなくなってからの長女は、とにかく顔つきが穏やかになりました。小さい頃の、いたずらっ子の顔が戻ってきたところをみると、自分らしくいられるようになって来たように思います。。
かわいいなぁーー。。
もっともっと、どんどん自分の好きなこと、楽しいことを、誰に遠慮することなく、やっていいんだよー!
あたたかく娘を送り出してくださった先生方。
本当に、心から感謝いたします。
小学生最後の日を、笑顔で終われたこと、本当に嬉しくてなりません。
認知症が進んで、できることは何だろう?
母の認知症が進んできて、
自分の身の回りのこと以外でも
出来ない事が増えてきました。
絵を描いたり、
字を書いたり、
パズルをしたり、、
母は綺麗好きなので、拭き掃除を
一緒にやったことがあります。
もう1年以上も前だったけど、数分すると
やめてしまってました。
もう何をするのも難しいのかなと思いましたが
先日、施設に行った時、母が持っていた
お茶のペットボトルの文字を指して
「これなんて書いてあるの?」
と何度か聞いていたら、一瞬そこに目がいき、
書いてある文字を答えたんです!
ひらがな、読めるんだと知りました。
一瞬でも、そこに注視する事が出来れば、
まだ出来ることはありそうです。
長男の絵です😊
父から連絡がありました。
今朝、父から電話がありました。
「いやぁー。
昨日はわるかったなぁ。。
よく考えたんだけど、やっぱりお母さんを連れてくるのは無理だ。
色々言っちゃって悪かったなぁ。。」
って。
父が号泣して電話してきた日、
母がいつにも増して、父から離れなかったそうなんです。
だから何とも可哀想になった、と。
次女が2歳の時、肺炎になり入院して、付き添いのいらない病院だったとき、
面会時間が終わり、帰る時が本当に辛かったのを思い出しました。
建物の外で「母ちゃーーーーーん!!!!!」って
次女の泣き叫ぶ声が聞こえて、思わず引き返してしまい、看護士さんに止められた日もありました。
父もそんな気持ちだったんだって。
昨日、父の辛い気持ちを、ただ聴くことができて良かった。
ひとりで考えていても、頭でグルグルするだけで、モヤモヤするけれど、話すことで気が済むことって、結構あるものだから。。
それに、話すことで自分の気持ちを再認識できたり、考えが整理できたりもするから、、
まだこれからも色んなことがあるだろうけど、
私に話すことで、少しでも父の気持ちが楽になりますように。。
三女の絵です😊
父のため?母のため?
1ヶ月近く前、母が特別養護老人ホームに入所しました。
認知症で要介護4。
どこへ行くにも歩く人だったので、体はとても元気だけど、発症してもう10年近くなり、今は私のことも分からないし意味のある会話も出来ません。
父と弟がデイサービスを利用しながら、ずっと世話をしてきてくれたけれど、下の世話がどうしても難しくなり、、前から申し込んでいた施設で受け入れてくれることになったので、父も弟も私も、本当に良かったと思っていました。
今日、父から電話がありました。
「施設から出して、家に戻してやりたい」と。
父は「あれじゃ、お母さんがあんまりかわいそうだ」と号泣していました。お酒も入っていたと思うけれど、そんなことは初めてでした。
母は体は元気なので、嫌だと思うと手が出るらしく、他の居住者さんにも怒って手が出てしまうことがあり、最近、精神科医から薬を使いたいとの話がありました。
父は「精神科医」と「薬」に関しては、今までの経験から非常に悪い印象しかなく、、薬漬けにされて、残された脳の機能もダメにされてしまう、と母の薬の話をずっと渋ってきました。
施設の言い分もわかる。
父の気持ちもわかる。
だけど、施設で暮らすからには、一緒に暮らす人たちを傷つけるようなことは、あってはならないから、、そして、そんなに恐ろしい薬を飲まされそうになっているわけでもないから、、
そして、それは母のためになることなのか、、
父自身のために、そうしたいだけなのか、、
父に言いたいことは、たくさんあったけど…
傾聴ボタンを押しました。
(私の中の、話を聴く自分になる為の、目には見えない気持ち切り替えスイッチです)
「うん。そうだね。」
「お父さんが、ずっと見てきてそう思ったんだね。」
「うん。うん。」
明日、父の気持ちがどうなっているか、分からないけれど、今日は気持ちを聴くことしか、私に出来ることはないと、そう思いました。
母がああなって、やっぱり父がいちばん辛いよね。
父の話を聴く人、いなくなっちゃったもんね。
母はずーっとずーっと、いつでも父の話を聴いてたもんね。
父は、人の気持ちに寄り添うことが出来なくて、主観でしかものを見れなくて、、気づいてないかもしれないけど、自分の為だけに生きてる人だと思うから、、
なにか、母以外に目を向けられる何かを探したいなぁ、と思う。。
自分がマイナスな思いに満ちているから、全てがマイナスに見えてしまっているんだな、と思うから、、(これが投影ってやつかしら)
母は母だって。
病気で色んな判断や認知が難しいから、父の思ってるように悲しんでいないかも知れないし、父の思ってる幸せと、母の幸せは、違うかも知れないよ、、って、少し気づけたら素敵なのになぁ、と思いました。
だけどもし、母とずっと一緒にいるのなら、
いつもニコニコしてほしい。
小さなことで「幸せだね」って笑いあってほしい。
だって母は、小さな幸せを探す天才なんだから。
当たったー!!!
パトカーに捕まった日。
先日、パトカーに捕まりました。
一時停止をしてなかったと。
そうかもしれない。
ちゃんと確認はしたつもりだったけど。。
後ろから迫って来る車がイヤで、はやく離れたくて、スピードをあげたまま、しっかり止まらず曲がってしまったのを、パトカーにバッチリ見られていたらしい。
もう10年以上、ゴールド免許だったのになぁー。
おまわりさんに言いたいことも、いっぱいある(もっとワルな運転してるヤツいるよ!?)けど、、、
7千円も払わなきゃならなくて、ホントーーーにがっくりだけど…
でもさ、
『 気をつけな!!』
って教えてもらったんだ、とも思った。
毎日、子ども達の送り迎え等々で、
車に乗らない日なんてほぼ無いし、
年間1万キロ以上は余裕で走ってるからね…。
大きな事故とかにならないように、
その前に教えてもらえたんだって、
そんなふうに思った。
後ろからゴーゴー迫って来る、ムカつく車がいても、平静な心でいられる自分になりたいなぁ。。
(イラっとして、つい闘っちゃうから…)