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先日、実家からの帰り道、視力の良い長女(中1)に助手席に乗ってもらった。
色んなことを話すうち、、
「夏休み終わってがっこう行きたくないなぁー!」と長女が言うので…
「宿題終わらなかったから行きたくない、じゃなきゃ、別に良いよ」と言った。
「そうなんだよね、宿題出来なかったから来ないって絶対思われたくないから、宿題は完璧やる!で、行かないかもー」と。
長女は6年生の後半、学校に行かなかった。
卒業式も出なかった。
次女との兼ね合いが難しくて、長女を引きずって学校へ行かせたこともあったけど。
中学へ行って欲しいとか、行った方が良いとかは、一度も言ってないのに、なぜか中学へは行ってる。
で、、「いーよいーよ行かなくたって。
アンタは家でも勉強も好きなことも、自分でちゃんとやるから、何も心配してないよ」と伝えると。。
「ネットでね、学校行きたくないって言ってる子って、たくさんいるんだよ。イジメられてるとかさ。だけど親が許さないんだって。でも母ちゃんは行かなくていいって言うけどね」って。
そうなんだぁ。。
「行きたくない」がハッキリしてるなら、行かなくて良いのにと思ってしまう。
次女は5年生の夏休み明けからは全く行かなくなったのに、6年生になって行くと言い出し登校し出したものの、今また行きたいけど行かれない状態に戻ってしまった。
また朝から、どうしようどうしようって悩む時間が多くなり、学校に一緒に行くことが増えて、先生とのやりとりも増えて…。いっそ「行きたくない!」なら良いのになぁーーって正直思ってしまったりする。
そしてもうすぐ9月が来る。
娘達には好きにさせようと思う。
(まだ入学したばかりの三女への影響が気にはなるけど、、まぁ、そこも仕方がないかもしれないなぁ。。)
学校が嫌なら、行かなくていいと思う。
ましてや学校が死にたくなっちゃうほど嫌なら、逃げてほしい。
色んな人から色んなことを言われるだろうけど、自分のことは自分にしか分からない。自分の辛さは自分しか分からない。
甘えてるわけじゃない。
頑張りが足りないわけじゃない。
自分を信じて、自分を守って欲しい。
居場所はあるからね。
引き取り訓練で思うこと。
今日、市内の幼稚園、保育園、小中学校で引き取り訓練がありました。
災害を想定しての引き取り訓練なのですが、、昨年、腑に落ちなかったことがあって。
災害時は車や交通機関は使えない事を予想して、親は家や職場から歩いて園または学校に向かって下さいとのお達しがあります。
そして幼稚園と小学校は、災害想定時刻になったら家または職場を出発して下さいとの事だったので、、まずは家からいちばん遠い長男の中学校まで、40分かけて歩きました。すっごく暑い日でしたよ。
そして着いたら、長男が待ちくたびれて、ふてくされてました。支援級のお友達は皆、とっくに帰ったそうで、、先生からも、引き渡し開始時刻には来た方が良かったような言い方をされたのが、すっごく腑に落ちなかったんです。
ただ確かに、中学校だけは「災害想定時刻に家を出る」との文言は無かったかも知れません。
だけど…。
災害が発生したと想定した避難訓練だよね?って思いが残りました。
そして今年。
なぜか小学校も、災害想定時刻になったら学校へ向かって下さいとの文言は無くなっていました。引き渡し開始時刻のみ記されていて…、この時間になったら来て下さいと。
なんか腑に落ちないんです。
何のための引き取り訓練なんだか。
何時何分に災害発生!で皆が動くから、実際の災害時に近い訓練になるし、意味があると思ってしまって。
遠い人は当然迎えに行くのも遅くなるけど、、だって実際そうなるでしょう?
そしたら子どもは親が来るまで待たなきゃいけないし、先生には申し訳ないけど、それまでしっかり預かっていて欲しい。何故自分だけ親が来るのが遅いのかも、しっかり説明して待たせて欲しい。
なんか、「やればいい」感が大嫌いです。
やるなら、ちゃんとやる意味のある事をしたい。
ただでさえ忙しいお母さん達が、学校の言うとおり時間を作って迎えに行くんだもの。それだけの価値のある事をして欲しいなぁと思います。
もう、一生懸命歩いて迎えに行く意味が分からなくなったので、、今年からは真面目に取り組むのはやめることにしました。。
でも、こんなふうに思うのは、私だけかもしれないけど。。
回転寿司で当てた…何だっけなー。。
学校をつくりたい。
最近すごく思うこと。
とうとう中学3年生になってしまった、支援級に通う長男の進路を本気で考えなければならなくなり…
特別支援学校にするのか、サポート校にするのか、定時制高校にするのか、、もっと他にもあるのか、、
主治医に再三言われているのは、長男の将来の姿を想像して(中学生になると、だいたい将来どんな暮らしをするか、が見えてくるそうだ…一人暮らしが出来るか、またはグループホームなのか、等々)、その将来に繋がる学校を選んでね、と。
長男の将来の姿…そして長男が自立するために必要なことは何だろう…と考えていると、、
勉強よりも生活力だよなぁ、と思った。
朝起きて、顔を洗う、歯を磨く、着替える。
自分で朝食を作り、食器を洗ってしまう。
洗濯をし、干して、畳んで、しまう。
ご飯の材料や日用品を買いに行く。
ゴミを分別して、それぞれのゴミの日に出す。
トイレ掃除、風呂掃除、玄関掃除、各部屋の掃除、窓拭き…
布団を干したり、シーツやカバーを洗って、また付けたり、、
クリーニングに出したり、出したものを受け取りに行ったり、、
手紙を出したり、荷物を送ったり、宅配を受け取ったり、、
予約して床屋や病院に行ったり、、
役所での色々な手続きとか、、
考えるとキリなく出てくる…
算数の計算は出来ても、実際の買い物での計算は難しかったり、1円玉ばかりやたら財布に残っていたり、、学校の勉強と実際の生活が繋がらないことも多いし、他にも教えていても出来ないことも多い。
そしてまだまだ、教えることが出来てないことだらけ。
思ったよね。
普段の生活の中でも、私自身に苦手なものが多くて、それらは教えてあげる事が出来ない。
そして、発達障がいを持つ子の親は、やっぱり発達障がいである事も多いと思うから、、
私みたいに教えられない事が多い親御さんもいっぱいいるんじゃないかって。
そしたらさ、
生活力を学べる学校をつくりたい!!
って思ったよ。。
先生は、発達障がいの親御さん同士、補い合いながら出来るんじゃないかって思う。
私、家事は苦手が多いけど、実はトンカツ屋の娘で、何年もキャベツの千切り等、仕込みをやってきたので、包丁使いは教えられる!(調理は得意じゃないけど、オムレツはうまく焼ける!)
モノづくりが好きだから、簡単な裁縫は教えられると思うし…
あと、空手と、体をゆるめる体操と、ドラム(簡単なトコだけ)も教えられる。
あと、算命学も教えられるよー。
(すっかり忘れちゃってるから、一緒に勉強する感じだけど。そして生活力にはあまり関係ないかもしれないけど、陰陽とか、十二支とか、自分の質とか学べる)
そんなふうに、親たちが先生になって、それぞれの得意を教えることが出来たら、、
かなりかなり、たくさんのことが教えられるんじゃないかな!!って思った。
家で教えるのは難しいけど(自分がバタついてるから)、学校という場、環境をつくれれば、色んなことが出来そうだなあーーって、
そんな学校で長男を学ばせたいなぁーーって。
最近、そんなことばかり考えています。。
三女(6歳)の絵です😊
私に出来ることは「聴く」ことだけ。
昔、母が保育園でお手伝いをしていた時、毎日菓子パンをひとつ、お弁当に持ってくる女の子がいたそうです。
母はその子を不憫に思って、自分のお弁当のおかずをあげようとしたら、園長先生にとても怒られたそうです。
「アンタは一生、あの子の面倒を見てあげられる訳じゃない。あの子は自分の置かれた環境で生きなきゃならないんだよ? 」と。
一時の優しさは、逆に残酷な行為だと。
その話を、何故かふと思い出しました。
じゃあ、出来ることはなんだったろう。。
もし母に出来ることがあったとしたら、
それは「聴く」ことだったんだと思います。
女の子の話をただ聴く。
そして、
「今日はジャムパン持って来たんだね!」
「それ美味しいんだよね!」
「いつもパン買ってくれて、優しいママだね」
「おばちゃんも今日はパンにしたよー」
なんて話しながら、女の子が自分だけパンなのを嫌だな、とか、お弁当作ってくれないママは嫌だな、とか、、
自分のこと、惨めに思ったりしないで欲しいなと思いました。
色んな話を聞くと、どうしたら良いんだろう、私に出来ることは何だろう、、って思ってしまう時があります。
だけど、出来ることなんてなかった。
私に出来ることは、寄り添って聴く事だけなんだよなぁー。。
だから
寄り添って聴ける人になりたい。。
長女の膝でまったり中(^ ^)
自分を癒す
先日、ぐるーみん講師の養成講座を受講してきました。
「ぐるーみん」って、自閉症や発達障がいの子、人たちの体をゆるめるためのタッチケア(グルーミングケア)です。
自閉症児2人のお母さん「はーにゃ」さんが、ご自身とお子さん達の為に、たくさんのボディケアを勉強された中で、障がいのある子たちにも出来るケアを、と考えられたものです。
その日は、ぐるーみんのセルフケアを学んできました。
去年の夏に、ぐるーみんを知って、ホームケアを学び、家族にはやってきたけれど、自分がやってもらう事はなく…
セルフケアで顔の頰のツボを自分の指で触ったとき、、なぜか涙が溢れてきちゃって…
自分でもビックリしたのだけど、そのツボは「不安やストレスに効くツボ」でした。
ナノさんの傾聴講座に初めて行った時にも、自分でも驚くほど涙が出て出て…、私って、そんなに辛かったっけ??って思ったのだけど…
今日も、不安とストレスのツボで涙がとまらなくて、、やっぱり私って実は辛かったのか??と思ったと同時に、、
自分に向き合ったり、自分を癒す、と言うことを、してきてなかったんだなと思いました。
自分にちゃんと向き合って「頑張ってるよ。そのままで良いよ」って自分を認めてあげること。
自分の体をゆるめて、自分を癒してあげること。
これ、出来てるお母さんが、どれだけいるんだろう!?って思ったし、絶対に必要だ!って、ものすごく強く思いました。
ナノさんの傾聴で自分にしっかり向き合ったり、静かな場所で自分だけの為に、自分をいたわれたことを、頭では気づかなかったけど、心と体がすっごく喜んだんだなぁーーって。。
私は、子どもが幸せになる為には、まずお母さんが幸せで生き生きしてないと!!って、いつも思ってる。だって、自分に余裕がないと、人に優しくなんてできない。大切な自分の子どもだとしても。
それって、私だけじゃないと思うから、、
お母さんが自分を癒せる時間、場所を作りたい!
これ、広めます!!
鬱になって私に近づいてきたと思ってたけど。
鬱になって、薬のせいなのか? 少し私みたいな言動が増えてきた夫💧
でも今日、違いを発見。
夫、何かをやっている最中なのに、違うことを始めてしまった自分に気づき「なんか君みたいになってきた…。」と言っていたが、よく聞くと「こっちの方が優先順位が高いと思ってやり始めた」と言った。
決定的な違いだわ。
私は何かをやっている最中に、別のことに目がいき、それを始めてしまうのは、いつものことだけど…、そこに「優先順位」はない…。考える前にもうやってしまってるもの…。
うっかりが多くなった夫。
でも優先順位をしっかり考えてるだなんて、すごいんですけど。
焼肉屋さんでもらった、ハッカ飴。
2個入ってた!!
笑顔で殴るのは気持ちと体が繋がってないから?
母の施設に行ってきました。
居住者さんと揉めて、手が出てしまったり、
他の部屋に入って、居住者さんを起こしてしまったり、
トイレやお風呂の介助を嫌がって、介助者さんに手をあげてしまったり、、が、まだまだあるそうです。
だいぶ施設にも慣れて、穏やかにはなってきているそうですが、もう少し母の不安を取り除いて、穏やかに暮らして欲しいし、もちろん他の居住者さんにケガをさせるような事があってもいけない、とのことで、
薬の服用についての、先生との面談があり、色々お話を聞いてきました。
そんな中で、いちばん気になったことがあります。
トイレやお風呂の介助を嫌がる母が、介助者さんを叩いたりグーで殴ったりしてしまうそうなのですが
「笑顔で殴っている時がある」
と言うことを、今日はじめて聞きました。
嫌がって怒り顔で、なら分かります。
心と体が一致してます。
笑顔で殴るって…?
心と体が一致してない、
繋がってないってことなのか…。
ケアマネージャーさんは、そんな状態の母は、とても辛いんじゃないか、と言いました。
発達障がいにも似てるなぁと思ったけれど、とても敏感なところと、逆にとても鈍感なところがあって、、その敏感に感じて不安になるところを、うまく合う薬を見つけて取り除けたら、、と言うことでした。
毎日、母を世話してくださる介助者さんと職員さんには、本当に感謝しかありません。
今日は施設の中を母と一緒に何周も歩き、桜を見に外へも連れ出して、歩きながらたくさん話して、母の笑顔もたくさん見れました。私の話に、ちゃんと返してくれた言葉も何度もありました。
子ども達も皆来たので、母と手を繋いだり話し相手をしたり。特にばあちゃん大好きな次女が、積極的に母と手を繋いでくれました。
子ども達にも本当に感謝です。
母の笑顔を見れるのは、本当に嬉しい。
分からなくても感じるものがあるんですよね。
私が楽しそうにニコニコで話せば、母も嬉しそうに笑ってくれます。。
それが嬉しくて、私も笑顔になって、、をきっと繰り返してる。
明日は弟が行ってくれるそうです。
たくさん話して、母を笑顔にしてきてねー!
娘が白あんで初めて作ったお菓子(^ ^)